*第一話『穴』*事件の始まり-7ページ-
また寝るのかよ。と思わず突っ込んでしまいたくなるが、また寝るのです。
残念ながら、彼女のライフワークは、食う、寝る、寝るのパターンで統一されているのだ。
ただし、キチンと仕事もしている。朝早くにベッドを抜け出してソファに移動するということは、一般人の尺度で考えれば職場へ通勤するようなものである。
彼女にとっての職場がベッドから数歩のソファであり、勤務中の姿勢が基本横になっている、という点意外は・・・。
「ふわぁ〜」
と気の抜けたあくびをしながら退屈そうに首を鳴らした。時刻は朝6時、肌寒くもあり、どこか新鮮な雰囲気もする空気が事務所を満たしている。
そんな空気に響き渡るようにドアがノックされた。彼女がその音に反応して視線だけを向けた。その視線は鋭かった。その視線から察するに、疎ましい存在がドアの向こうにいるらしい。
どうぞ、の一声も聞かずに、ノックをした誰かが部屋に入ってきた。
「藤心先生、おはようございます!」
まるで初出社した新入社員のような元気のいい挨拶だった。
眉を寄せながら、あきらは彼に、視線と浮かない表情だけで挨拶を返した。
「いやぁ、先生、どうもこんな早朝からすんません。いや、ホントにどうしても協力してほし件がありましてね」
バカ丁寧に言いながら、あきらにとっての疎ましい訪問者がソファへと近づいていった。
年齢はだいぶ若く見える。大学を卒業したばかりで社会そのものに適応しきれていないような若々しさが随所に見られる青年だ。イメージの中にしかない営業スマイルをしてみせるところや、下手な役者がやらかしそうなわざとらしい腰の低さが妙に癪に障る。
あきらは、彼のこういったあざとい仕草が大嫌いなのだ。
しかしながら、あきらは職業上、彼と接する時間が長い。
いやむしろ、彼がいなければ仕事にならない、と言ってもいいだろう。
ここで、彼がどういった人物か簡単に説明しておこう。
彼の名前は井出瓦 俊一郎(いでがわら しゅんいちろう)という。
彼の親は警視総監の井出瓦 正和。つまり彼はエリートのお坊ちゃんだ。
年齢は23歳、本当にフレッシュな社会人である。ただし、親のコネを使って楽な仕事をしているので、一般的な社会人とは暮らし向きから何もかもがまるで違う。
彼が所属している部署は『国家認定探偵監査部』という名称で、数年前に新設された部署である。その部署の仕事内容とは、準捜査員資格一級を保有している探偵の監査と手助けである。
監査と手助け、といえば聞こえはいいが、その実態は、やる気は無くともキャリアと後ろ盾のある、庶民感覚で見れば『使えない』刑事の寄せ集めだ。
彼らは、今日井出瓦が朝っぱらから、あきらの事務所に『遊びに』来たようにちょくちょく探偵の元を訪れては「最近どうよ」と、お茶と菓子を食べながらくだらない世間話をするのが常である。
ただ、彼らがキャリアと後ろ盾だけでメシを食っているだけあって、その権力は使い物になる。井出瓦に至っては、たいていのやっかいな問題は揉み消してくれる。
しかし、彼ら監査部の便利なところはそれだけではない。全国津々浦々の事件、事故の情報をかき集め、探偵に仕事を斡旋することもある。
今日井出瓦がやってきたのも、仕事の斡旋だ。